モバマス、輿水幸子のSSです

少しのあいだ、お付き合いいただければ幸いです



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 真新しいドレスに袖を通し、メイクさんのお化粧が終われば、逃げ場はもうない。



 立ち上がると、気を利かせたメイクさんが、おっきな姿見を転がしてくる。



 ヤダなあ。



 まあ、でも、見ないわけにはいかないし。



 この目で、今日のボクを見てみよう。



 光に透ける純白のドレス。



 きゅっとタイトな長手袋。



 桜色の花びらをあしらうカチューシャ。



 こういう、ごてごてとした衣装が、ボクは好きだ。



 ゲームのキャラクターが、武器や防具で身をよろうように。



 お化粧やアクセサリーで身を着飾るほど、ひとまわり可愛く綺麗な自分になれる気がする。



 もちろん、どれだけ軽装でも、きれいだったり、かわいかったりの子はいる。ごまんと。



「皆さんがお待ちです」



 ボクは無言で頷くと、メイクさんの隣をすり抜けて、撮影用の別室に向かう。



 今日は珍しく、雑誌に載せる写真撮影のお仕事だ。



 背伸びをしたい年頃の女の子をターゲットにした人気雑誌。



 ボクの姿に憧れてくれる子がいるかもって思うと、悪い気はしない。



 ふふーん。



 なんて。



 部屋に入ると、高い天井と、柔らかな光と、たくさんの人たち。



 その瞬間、空気が重みをもって、ボクを押し潰そうと迫ってくるよう。



 ボクと同じ立場の人なら、この感じ、絶対に分かるはず。



 おおげさな言い方だけど、今日のボクは主役のひとりだ。



 ボクに向けられる視線には、何かしらの感情が込められてる。



 良いものであれ、悪いものであれ、それは重圧となってボクを包み込む。



 何度味わっても慣れない。



 自分が主役になるたびに、ボクの前進を拒むように体が重くなる。



 ボクは、アイドルである以前に、単なるひとりの人間で。



 だから。



 吹き飛ばされそうになる。



 いつも。



 だけど、こういうとき、一番に走り寄ってきてくれる人がいる。



 ボクよりずっと背が高くて、年もひとまわりほど違ってて。



 ボクのことを誰より信じてくれるひと。



「どうですか、今日のボクは」



 微笑み、自分を誇示するみたいに胸を張る。



「可愛くて、綺麗だ。よく似合ってる」



 照れもなく、ひどく直截で、だけど力強い。



 その言葉は魔法。



「当たり前です。今日の撮影も完璧に決めてみせますから、見てて下さい!」



 言葉は、魔法で、力だ。



 ほら、体が軽い。



 世界でいちばんカワイイみたい。

 なのに。



 終わりは突然。



 握手会終わりの、しとしと雨が降る夕暮れ時だった。



「幸子、大事な話がある」



 プロデューサーが運転する社用車には、仄かに煙草の臭いがかおる。つんと鼻を刺すこの臭いがボクは嫌いだ。なんだ

か自分が拒まれているみたい。



「煙草くさいです。吸わないって約束、忘れましたか?」



 出会って間もない、まだ彼が煙草を吸っていた頃のことを思い出した。最初は冗談めかして拒んだだけ。だけど、本気で気分を悪くしたボクを見て、顔を青くしていたっけ。思えば、シートに染みついた煙草の臭いは、いつしか消えていた。大嫌

いな煙草の臭いをかいで、彼と過ごした時間の長さを実感するなんて、馬鹿みたい。



「大事な話だ」



 彼の横顔は真剣で、だからボクはまともに取り合いたいと思わない。嫌な予感はよく当たる。嫌だからと払いのけても、結局は戻ってくると知っているのに、拒むことをやめられない。わがままだって叱られ続けた、ボクの悪癖。ぜんぜん、治らない。



「カワイイボクへの告白ですか? ボクも罪な女ですね!」



 プロデューサーは笑わない。



 困ったように笑うところが好きなのに。



「幸子……」



 怖い。



「俺はお前のプロデューサーじゃなくなる。すまない」

 息が止まる。



 全身が押さえつけられたみたいに重くなって、目の前の景色がぐわんと歪む。



 視界がぐっと狭まり、喉からおかしな息がひゅっと漏れた。



 やばい。



「幸子!」



 叫んだプロデューサーが、車を路肩に停止させたのが分かる。



 身を折り、呼吸をするたびに、ひゅーひゅーと音が鳴り続ける。彼がプロデューサーになってから、一度だって起こしたことがなかった発作だ。ぜんそくの再発こそが亀裂の象徴であるようで、苦しみが増した。



 袋を取り出した彼が、ボクの口を覆ってくれる。気づかってくれる嬉しさが半分で、そうさせてしまった情けなさが半分だ。知らず知らずのうちに、彼の存在は欠かせないボクの一要素となっていて、彼が隣からいなくなることを思うだけで、ボクのすべてが軋むよう。



「プロデューサー、ボクのプロデューサーじゃなくなるって……」



「来月から、俺は新人の担当になる。連絡が遅れてすまなかった」



「……嫌です。認めません」



「上が決めたことだ。俺にはどうすることもできない」



 魔法が解ける。



 ボクを支える足場が崩れていく。



 為す術もない。



「でしたら、ボクはもうアイドルを続けられません」



「……頼むから、わがままを言うな」



 彼の瞳を見ることができない。代わりに、ボクは車窓を叩く雨粒をじっと見つめる。窓に反射してうっすらとだけ映る自分の姿……今、ボクはどんな表情をしているだろう。これはいつものわがままだろうか。



「今のボク、カワイイですか?」



「当たり前だろ。そんなこと、幸子だって知ってるはずだ」



 知らない。



 ボクはただ、貴方の一番になりたかった。



 貴方の言葉がないボクに、なにがカワイイかなんて分からない。

 翌日、無断でレッスンを欠席した。



 だけど、家でぼんやりと過ごす時間は予想外に辛かった。心も体も溶け出してしまいそう。



 次の日、だめもとでスタジオに行ってダンスレッスンに顔を出してみた。追い返されるかと思ったけど、あっさりと許可が出る。すごく助かる。今は存分に体を痛めつけたい気分だった。



 大音量で流れているのは、心を芯から震わせるような激しい曲だ。一音一音が刃みたいだなと思う。切れ味鋭い刃に身を投げ出すようにして、ボクは踊りをおどりだす。



 だけど、踊り回る体を置き去りにして、ボクの頭に浮かぶのは彼のことばかり。引っ込み思案だったボクの手を引いてくれた、彼の手のあたたかさを思い出す。笑顔ひとつ上手くつくれないボクをあちこちに連れ回してくれたっけ。



 ボクの額から汗が滴り落ちる。床を濡らしたそれを踏みつけるようにして体を大きくひねる。筋肉が軋んで千切れるところを幻視する。それが今は心地よい。今はただ、何もかもを絞り出して、ばらばらになってしまいたい。



 彼の背中は大きくて、その一歩一歩が新たな道を築くよう。ボクはいつだって道を踏み外してしまいそうで、彼の足跡を必死になぞりながら歩いてきた日々だ。鏡を覗き込めば、そこにはアイドルになる前から見続けてきた、代わり映えしない自分がこわばった笑みを浮かべてる。



 ボクには主役になるだけの価値があるのかな。鏡の中のちっぽけな自分に足を取られて、ボクはいつだって立ち止まる。カワイイですよと虚勢を張っても、生まれ持った顔も体もかわらない。今でも鏡を見るのは怖くて、自分自身の弱さに押し潰されてしまいそう。



 そんな時、彼は振り返って言うのだ。幸子は可愛いと。



 そして、ボクが道を踏み外すとはみじんも思ってないような微笑みを浮かべて歩き出す。

 ボクは世界で一番カワイクなんてなくて。



 世界で一番綺麗なんてことはもちろんなくて。



 知ってる。



 でも。



 彼が信じる輿水幸子は、きっと、世界で一番かわいくて、きれいだ。



 なら、行こうと決めた。



 彼と一緒なら、立ちはだかるあらゆる困難は、ボクにとって困難たりえない。



 だって、彼といるとき、ボクは世界で一番かわいくて、きれいで、そして無敵だ。



 ボクはもう、前で踊るトレーナーさんを見ていない。周囲の子たちだって見ていない。



 音の刃に切り裂かれ、血を流す自分の幻を思いながら、踊り狂う。



 汗がぼたぼたとこぼれ落ちる。無茶なステップのせいで足の裏の皮だってずる剥けだ。



 手足の動きだって滅茶苦茶だ。周りの子に当たらないのが不思議なぐらい。



 これが彼との旅の終わりだと思うと切なさに胸が締めつけられた。



 最近、少しは追いつけたかなって思ってた。



 追いついて、今度は隣を歩きたいと思ってた。



 手を引かれてばかりだと、いつまでも対等になれないから。



 それなのに、どうして、今なの。



 音楽はもう止まっている。知っていたけど、止まらない、止まれない。



 ボクのそばにいてくれないなら、どうして、ボクに夢を見せたんですか。



 貴方がいないボクは、もう、どこにも行けない。



 糸が切れたように動きが止まる。



 スタジオがしんと静まり返る。



 うつむいたボクの前の床に、ぽつぽつと、しずくが落ちる。



 それが涙なのか汗なのか、ボクにだって分からない。

 トレーナーさんにスタジオから連れ出され、誰もいないベンチへと。



「貴方達のことは、だいたい聞いてる」



「ボク、プロデューサーさんに捨てられたんです」



「その言い方は誤解を招く」



 トレーナーさんが困ったような声を出す。



「でも本当です。いきなり、こんな……」



 はぁ、と溜め息がひとつ。



「貴方と離れたくない気持ちは彼も同じよ。幸子だけは勘弁してくれって、社長に直訴しに行った話、有名よ?」



 とくんと心臓が高鳴る。



 思わず顔を上げると、トレーナーさんの優しい笑みがあった。



「声を荒げて、うるさいのなんの。周りの人達に丸聞こえだったらしいわ。最後は、いい加減にしろって一喝されて終了。所詮はサラリーマンよね。お上の決定には逆らえませんってわけ」



 頬が熱を帯びたのが分かる。



 少し前まであれだけ落ち込んでたのに、単純な自分が嫌になる。



「それでも、どうしても離れ離れが嫌だって言うなら、二人揃って移籍でもする?」



 顔を伏せたボクは、首を横に振る。



 いくらわがままが板についたボクでも、そんなことは言えない。



「プロデューサーさんの気持ちは分かりました。でも、やっぱり、ボクにはプロデューサーさんがいないとだめなんです。だから、もう……」



「私は貴方の保護者じゃないし、貴方の人生は貴方が決めること。だけど、もう少しだけ考えてみて。少なくとも、私の目から見て、貴方はもう一人の立派なアイドルよ」



 ボクは答えを返せずに、だけど。



「ありがとうございます」



「どういたしまして。それじゃ、私は戻るわね。お疲れ様」



 去っていく背中に、ボクは深々とお辞儀をする。



 もういちど、彼と話をしてみよう、と思った。

 事務所に戻ると、緊張感のある空気が漂っている。



 複雑な視線がいくつもボクに向けられて、それだけで事情を察した。



 足早に廊下を駆けて、社長室へと向かう。



 息を切らせて、扉の前に立つ。



 呼吸を整え、意を決してノックをしようとした。



「――幸子には、まだ俺が必要です」



 手が止まる。自然と扉に耳を寄せるようにする。



「ご存知の通り、先日、幸子は持病のぜんそくを再発させました。俺がプロデューサーになってからは、一度としてなかったことです。レッスンの欠席も。今回の件が原因であることは明白です」



「だがね……」



「最近、幸子の成長は著しいです。ようやく良いリズムができてきたんです。ここで幸子にストレスをかけるのは、彼女の人生を大きく狂わせることになりかねません。お願いします、どうか……」



「ふむ……」



 よかった、という思いが込み上げた。



 これで何もかもが元通りになるんだ、とほっとした。



 帰ろう。



 扉に背を向け、踏み出そうとした足が、何故だか動かない。



 どくん、と心臓が大きく脈を打ったのを感じる。



 ボクの心の最も弱い部分が、震え出さんばかりに歓喜していた。これでもう二度と彼から離れなくて済むと。彼は言ったのだ。幸子には俺が必要だと。それは、ボクが彼を必要とし続ける限り、彼のそばにいられるということだ。ボクが道を踏み外しそうになった時、必ず彼は手を差し伸べてくれる。そうせずにはいられない人なのだ。なんて素晴らしいことかと思う。ボクが彼の後ろで間違い続ける限り、彼はそばにいて間違いを正してくれるだろう。彼の歩みを遅らせるほどにボクたちの時間はそれだけ伸びるのだ。



 くそったれ、死んじまえ。



 ボクは扉に向き直り、思い切り拳を叩きつけた。



 弱い自分を叩き潰すみたいに。



 必死にあがいて間違えるのはいい。悩み抜いた末に足を踏み外すのは勲章だ。だけど、失敗する為に失敗することだけはだめだ。彼が見せてくれた、世界で一番可愛くて、綺麗なボクに、それは相応しくない。そしてなにより、世界で一番可愛くて、綺麗なボクを、誰より信じてくれる、彼と、ボクのファンに、それは泥を塗る行為だ。

 返事も待たずにドアを開け放ち、唖然とした表情の彼と社長の前に立つ。



「面白い話をしてるじゃないですか、プロデューサーさん。ボクも混ぜていただけますか?」



「幸子、お前、何を」



 ボクは不敵な笑みを浮かべ、胸を張り、なけなしの虚勢を振りかざす。



「ボクにプロデューサーさんが必要? 面白いことを言いますねえ。いいですか、よく聞いて下さい。世界で一番カワイイボクに! 世界で一番キレイなボクに! 必要なものなんて、何もありはしませんよ!」



 震えそうになるのを、声を張り上げることで必死にごまかす。



 ボクは、世界で一番可愛く、綺麗で、そして無敵だ。



 彼が育ててくれたボクを、彼が与えてくれたボクを、否定してたまるか。



 ボクは行儀悪く、彼を指さす。



「というより、プロデューサーさんがボクのことを必要としているんでしょう? なにせ、ボクは世界一のアイドルに駆け上がる器ですから! ただ隣にいるだけで、プロデューサーさんはナンバーワンプロデューサーへの昇格間違いなしなんですよ! どうですか、悔しいですか、悔しいでしょう? もう、身近でボクを見守ることができないなんて、どれだけ、っ」



 声が途絶える。



 ボクの馬鹿。



 ぽたり、



 ぽたりと、



 涙が頬を滑り落ちていく。



「どれだけ、不幸なことかっ……。今まで、ボクを、ここまで導いてくれたのに、こんなところでお別れなんて、悔しくて、悲しくて……ボクが、どれだけ、貴方に感謝しているか! そんなことも伝えられずに、何の恩返しもできずに、こんな……」



 それが限界。



 ボクは声を上げて泣いた。



 彼が駆け寄ってきて、そっとボクを抱き締めてくれる。



 彼の胸の中はあたたかくて、そのぬくもりこそがボクの失うものだった。



「ありがとう幸子。お前のプロデューサーになれて本当に良かった」



 それがボクと彼の旅の終わり。あるいは途中。

 その後、人事異動が撤回される、なんてことは当然なくて。



 ボクはボクの、そして彼は彼の、互いの道を行くことになる。



 事務所は同じだから、また新たな縁を持つこともあるはずだ。



 その頃、ボクは、名実共に世界で一番カワイイアイドルになっている予定だ。



 ところで、ボクは、彼の新たな担当アイドルが誰なのかをまだ知らない。



 新人、というところまでは知っているけれど。



 気にならない、といえば、もちろん嘘になる。





 で、今日、まさにこれから、彼が新人を連れてくることになっている。



 そして、現れたのは、口をへの字に曲げた子だ。



 彼にがっちり手を繋がれ、けれど体は思い切り逃げている。



 無理やり連れられてきたって感じで犯罪に見える。



「紹介する。森久保乃々だ」



「アイドルむーりぃー……田舎に帰らせていただきます……」



 後日、ボクはこの子と奇妙な因縁で結ばれてしまうのだけれど、それはまた別の話だ。



おわり