──最初は、ほんの小さな出来心だった。



自分の部屋で突如として湧いたその衝動は、我ながらどうかしていたと思う。



こんなこと……ふつうはやらないのに。

こんなこと……するものじゃないのに。





お前は常識人じゃなかったか。

頭の中で、別の自分がそんなことを叫んでいる。



しかし

一度勢いのついてしまった欲求はその警鐘の言葉を覆い尽くし、

もはや誰にも──私自身にも止める術はなかった。



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「……まあ、悪くないかな。意外と馴染むね、これ」



誰宛てともなく口をついた独り言。誰にも届かず、言葉としての意味を成し得ない声。

私は独り言をしゃべることが多いと、よく言われる。



でも……

一見無駄に思えるそれは、自分の内面と向き合うためのものなんじゃないか、って思うんだ。





「ふふっ、いいかも。今度こういうの揃えてみようかな……」



また出た、独り言。しかし──



「なんだ、何か欲しいものでもあるのか」





──独り言は、独り言ではなくなってしまった。





それを認識した瞬間の私の動きは、名状しがたいなにかが取り憑いたような感じだったと思う。



……私を見たあの人の目が、そんな色をしていたから。

────────





────ヤバい。



俺が目の前の光景を見て最初に浮かんだ一言。



いたいけな美少女が、犬の首輪を自分にはめて、心なしか嬉しそうにしている。



……一体何が起きたのか。ファッション? おふざけ?

いや、そもそもなぜ犬の首輪をつけようと思いついたのか?

そういうプレイ? 加蓮や奈緒あたりにでもけしかけられたのか?



いろいろ思考を巡らせるが、当然答えなど出るはずもなく。

これでは埒があかない。

ひとまず俺は考えることを放棄して、ここへやってきた目的を果たすことにした。



まずはどうやって彼女に俺の存在を気付かせるか……

咳払いをすればいい? それとも、それとなく言葉をかけるのがいいのだろうか?



少し考えてから、俺は口を開いた。



「なんだ、何か欲しいものでもあるのか」



その瞬間の、こいつの動きを、表情の変化を、俺は忘れることができないだろう。

普段のクールなあいつからは考えられないものだったが、ふと、デジャヴを覚えた。

なんだろう、どこかで見たことがあるような。





────あぁ、千葉……もといウサミン星へ行ったときの菜々か。

────────────────



凛「ど、ど、ど、ど、どうしてプロデューサーがここにいるの!?」



 私は口をぱくぱくさせながらしどろもどろになって問うた。

 ……いや、もはや叫んでいるに等しかっただろう。



P「お前に今日見せておきたい書類があってな。お店にいたおふくろさんに渡して、すぐ帰るつもりだったんだが……」



 私のプロデュースを担当するその人は、こめかみの辺りをぽりぽり掻きながら続けた。



P「おふくろさんが、是非にも凛に直接どうぞ、ってな。背中を半ば無理矢理押される格好で部屋の前まで来させられたよ」



 お母さん、一体なにやってんの……

 まあ……嬉しいけど……ってちがうちがう! 今はそんなこと考えてていい状況じゃないでしょ!



P「はい、これ」



 そんな挙動不審な私に突っ込むこともなく、プロデューサーは小脇に抱えている封筒を私の方へ差し出した。



 スルースキルが高いのか、それとも実は私に興味なんてないのか。

 スカウトするときはあんなに熱く口説いてきたくせに。



凛「……これ、なに?」



P「今度のライブに関するものだよ。ついさっき協力社から上がってきた」





 今日の私はオフだ。事務所へは出勤していない。



 明日でもよかったんじゃないのと訊くと、彼は暖めていた構想が具現化して一刻も早く私に見せたかったのだと云う。

 ……それにしてもそのためだけにわざわざうちへ来るなんて。ワーカホリックな人だ。ま、そんなところもまたイイんだけどさ。

 封筒から書類を取り出しながら、まるで第三者が俯瞰するかのような冷静な感想を述べる私が、頭の片隅にいた。

凛「へえ……可愛いね。これも、あ、こっちのもいい感じかな」



 そこには、今度開催される、自身初となる単独ライブでの衣装がリストアップされていた。



 烏羽色を基調としたゴシックに近いデザインのものが、ずらりと紙の上で踊っている。

 こんな華美、絢爛で可愛い服に私が腕を通すなんて、仕事に慣れてきた今でも確固とした実感が湧かない。

 それだけライブというのは特別なものだった。



 私の貧弱な語彙でつづる感想に、プロデューサーは腕を組み目を瞑りながら、うんうんと何度も頷いた。



P「そうだろうそうだろう。お前の美貌や艶やかな黒髪と、この衣装たちが組み合わされば、世の中の男どもを必ず虜にできる」



P「俺も書類見た瞬間テンション上がっちまってさ。ちひろさんに〈自主規制〉を見るような目を向けられたよ」



凛「ふふっ……プロデューサーはリアクションがいちいち大袈裟だからだよ」



 彼が事務所でどんな小躍りをしたのか、容易に想像できてしまう。

 きっと未央も呆れるくらいのはしゃぎっぷりだったんだろうな。



P「まあクールなお前と違ってストレートに感情を表わすのが俺の信条だからな。とりあえず、現物は明日事務所に届く予定だ」



凛「うん、楽しみだね。早く着てみたいよ」



 プロデューサーには大袈裟、と言ったけど……今の自分もきっと、しっぽがあればぶんぶん振っているはず。

 他人のこといえないよ。

 ……そして、この人は、──それを見抜いているんだね。





P「明日はレギュラーの収録だったよな。終わったら直帰しないで待っていてくれ。ブーブーエスまで迎えにいく」



凛「うん、ありがと、プロデューサー」



 大まかなスケジュールを再確認しながら、読み終わった書類をプロデューサーに返す。



 明日が待ち遠しくてたまらない。

 私も女の子、新しい服には滅法弱いのだ。

────────────────

P「しかしな……凛」



 書類を封筒に戻したプロデューサーは、何か逡巡するようなそぶりを一瞬だけ見せてから言葉を紡いだ。



P「その……なんだ、……どうして首輪なんかつけてるんだ?」



 その一言で、新しい衣装を見てうきうきしている自分が、いままさに現在進行形で妙な格好をしているのだということを思い出した。

 夢心地の状態から一気に現実へと引き戻される。



凛「え……こっ……これは、その……なんていうか、うん、魔が差したっていうか、興味本位っていうか、ハナコの気持ちになるですよっていうか……」



 慌てた私は、支離滅裂な言葉の羅列しか出せない。



凛「べ、べつにご主人様に仕える忠犬になりたいとかそういうんじゃなくて」

凛「あ、でもそれもまたいいかな、なんて思ったりもするけれど」

凛「っていうか、つけてみたら、まあ悪くないかな……なんて思ったりもしたし……」

凛「ってそうじゃなくて……ああ何言ってんだろ私。違う、違うの」



P「おいおい落ち着け」



凛「…………」



 一切の静寂が場を支配する。

 おずおずと、上目づかいに、そしておそるおそる訊くことしかできない。



凛「こ……こんな変な私なんてもう厭だよね……幻滅したよね……」

凛「幻滅しても……お願いだから私の担当は外れないで。お願い、見捨てないで……」



 私が懇願の言葉を発し終わらないうちに、プロデューサーは、私の頭をぽんぽんと撫でた。

 そして少し笑いながら、



P「別に厭ではないし幻滅もしていない。そりゃ最初は確かに度肝を抜かれたが、改めて見ると可愛いじゃないか」



凛「ほ……ホント?」



 真正面からの可愛いという言葉に、どぎまぎしてしまう。

 ダメだよ、渋谷凛。お前はクールアイドル、可愛いと言われてもクールに流すの、クールに。

 頭の中の別の私が、必死に落ち着かせようとしている。しかし、



P「ああ、それに、自分自身でも気に入ったんだろ? さっき、意外と馴染むって呟いてたじゃないか」



 瞬間、私の顔はボンッと真っ赤に爆発した。



凛「う……そんな段階から聞いてたんだ……」

 ほとんど最初の方だよそれって。



P「揃えたいとも言ってたよな」



凛「うぅ……」



 孔を掘って埋まりたいとは、まさに今の心境を云うんじゃないだろうか。

 首輪を外したいけれど、いま取ったらなんか負けのような気もする。



 どうしよう。



 必死に打開策を模索していると、予想外の提案があった。

P「俺もう今日は仕事上がりだけど……首輪でも見にいく?」



凛「…………へ?」



 私はアイドルとしてあるまじき、極めて間抜けな返答しかできなかった。

 だって、予想だにしない言葉だったんだから仕方ないじゃない。



P「いや、首輪を欲しそうにしてるからさ、ちょうどお前の誕生日だし、買ってあげようかと思って」



P「俺さ、凛の、服とかアクセとかの好みを知らないから、実は気の利いたプレゼントが思いつかなかったんだよ」



 プレゼントが思いつかないなんて、ニブチンなこの人らしいよね。

 でも、それにしたってさ、



凛「首輪をプレゼントだなんて、随分と退廃的だね、プロデューサー?」



P「うッ……お、俺はあくまでもお前の要望に応えるために……」



 とかなんとか言っちゃって。



 でも、気付いてしまった。この人が首輪をプレゼントしてくれると聞いた瞬間、自分の胸が高鳴ったのを。

 目の奥で、小さな火花が散ったのを。そして、下腹部が──甘く疼いたのを。



 …………ここまできたら、もう開き直ってもいいよね?



 そう、私は首輪が……好きなんだ。首輪を、この人に……つけてもらいたいんだ。

凛「でもさ、せっかくの担当アイドルの誕生日に、首輪のプレゼントだけ? おいしいフレンチとか連れてってくれないの?」



 私はそんな想いを隠すように、つとめて意地悪くしゃべった。



P「うぐぐ……月末恒例なんとやらで、あくm……ちひろさんに搾り取られて厳しいんだよ……」



 そう言ってプロデューサーは後ずさった。相当な緊縮財政らしい。ちひろさん、私にはやさしくしてくれるんだけどな。



凛「ふふっ、冗談冗談。誕生日を憶えていてくれただけでも嬉しいよ」



 これは本心。女の子にとって記念日って特別なこと。誕生日ならなおさら……ね。

凛「さてと……じゃあ、行こっか。首輪も、私たちを待ってると思うから」



P「えっ、私“たち”って俺も入ってんの?」



凛「もちろん。きっとプロデューサーにも似合うと思うよ?」



P「勘弁してくれ……俺がやったら捕まりそうだ」



凛「そう? ざーんねん。ふふっ……」



 お揃いの首輪をプロデューサーもつけてくれれば、事務所の他の子への牽制になるんだけど、なんてね。





────────







 その後。

 目を輝かせながら首輪──いや、人間用だからチョーカーと云うべきなのか──を物色する私を見て、プロデューサーはこう思いついたらしい。



P「そんなに好きなら……ライブの衣装にチョーカーを追加するか」



凛「えっ、いいの!?」



P「“まさに首輪!”っていうデザインじゃアレだが、いわゆる普通のチョーカーなら良好なファッションアクセントになるしな──

──私の衣装に、チョーカーや首に巻き付くデザインが多いのは、こんな理由。

これからも、私に首輪をつけてね?







ふふっ、ありがと、プロデューサー。





〜了〜